高松地方裁判所丸亀支部 昭和32年(わ)141号 判決 1958年8月07日
被告人 吉田義孝
主文
被告人を懲役五年に処する。
未決勾留日数中二五〇日を右本刑に算入する。
押収に係るシアンカカリユーム入茶色壜一個(証第一号)、同廻転式拳銃一挺(同第九号)はこれを没収する。
訴訟費用のうち鑑定人奥村二吉に支給した分を除きその余はすべて被告人の負担とする。
理由
(被告人の本件犯行に至るまでの経過)
被告人は昭和二七年一一月石田八重子と結婚し、その後一女を儲けたが性格の相違により昭和二九年九月頃離別し、爾来孤独の淋しさに耐えられなく折々周期性憂鬱症に襲われ万事悲観的に考え遂には自殺をしようとの気持すらも脳裏をかすめ出したので、自然酒やビールを飲んで気分の転換を図つていた。ところが昭和三二年一月二一日被告人がその頃勤務していた大阪市旭区生江町二丁目三三六番地株式会社三興科学研究所の都合により丸亀市にある同社の丸亀出張所に転勤しなければならなくなり、その後同市内の秋田昌士方で下宿生活を送るようになつたが転勤後の心労も加わり昭和三二年春頃からは被告人の前記憂鬱症が周期にあたつていたのでこれをまぎらすため友人平沢定雄とともに毎日飲酒するようになり同市通町一七一番地カフエー美人会館(経営者浜田千晴)とか「一平」或は「一番館」等に足繁く通う様になりこのようなことから次第に出費が嵩み遂には会社の金銭を費消するようになり、本社社長より見込まれて丸亀営業所主任となつたのにこの様な不始末をしでかしたことに責任を感じ、一層のこと自殺して一さいを精算したいような気持も湧くようになつたので、嘗つて自殺したい気持が生じた昭和三一年八月頃大阪市北堀江通り宝文館機械株式会社に勤務していた折に手に入れ、その後大阪の自宅の抽斗の中に入れたまゝ放置していた青酸カリ入り茶色壜(証第一号)を想起し昭和三二年四月終頃これを持帰り、常時ポケツトに携帯し、平沢や美人会館の女給に見せたりしていたが直ぐに自殺を決行する程追いつめられてもいなかつた。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一、昭和三二年五月一三日午後七時頃から前記下宿でウイスキーを湯呑についで飲んでいるところへ、間もなく友人平沢が訪れたので更に同人と一緒にガラスのコツプに八分位を飲んだ後町へ散歩に出たが平沢の止めるのも聞かずに前記美人会館に赴き偶々平沢を訪ねて同会館に来た知人佐伯茂男も途中から加わつて皆でビール五本位を飲んだ後、右佐伯が丸亀市浜町三番地の一二アルバイトサロンバンビー(経営者小橋武雄)に行こうと言い出したことから被告人と平沢、佐伯の三人連れで午後一〇時半頃右バンビーに赴き二階ホールの一番奥の左側の隅のテーブル(通称二番テーブル)に被告人が北側西向きに腰をかけ被告人の前には平沢が被告人の隣には佐伯がそれぞれ腰かけてビールを飲んだり踊つたりしているうち被告人が前記美人会館の女給川田美也子(当二〇歳)を電話で呼び寄せたので間もなく同女が来て佐伯の坐つていた被告人の隣りの席に坐つた。このようなことからテーブルの上のコツプは順次追加され互に暫くの間飲んだり踊つたりしてから被告人、美也子、平沢の三人がそれぞれ元の席に腰をかけていた時、平沢が何気なく両腕をくんだところ、嘗つて被告人から譲受け自分の上衣の内ポケツトに約八ツ切りにした新聞紙で包んであつた青酸カリに手が触れたので思わずこれを取り出したところを被告人が見付けて二三奪合いをした挙句取り上げ青酸カリのような危険な毒物を飲食店内でそのテーブル上のビール入りコツプ等に散布すれば誰れかが知らずに飲むかも知れず、ことと次第によれば他人が死ぬる様な結果になるかも知れないことは分つておりながら敢えて被告人の前に置いてあつたビール入りコツプに右青酸カリを投入し平沢に制止されたのにかゝわらず更に自分がかねてから携帯していた前記青酸カリ入り茶色壜(証第一号)を取り出し小さいテーブルの上に置いてあつた数個のビール入りコツプの辺りにふりかけて投入しその情を知らない美也子をしてこれを飲用せしめ因つて同日午後一一時一〇分頃同市北平山町香川県立丸亀病院附近において青酸カリによる中毒のため死亡するに至らしめこれを殺害したものであるが、当時被告人は心神耗弱の状態にあつたものである。
第二、被告人は昭和三二年一月二一日より前記株式会社三興科学研究所丸亀営業所主任として同会社の業務である科学試験用機械器具等の販売並びにこれが集金業務に従事していたものであるが、
(一) 昭和三二年四月二〇日頃香川県仲多度郡多度津町香川県立多度津工業高等学校において前記会社の真空蒸溜器修理代金三、〇〇〇円を集金し業務上保管中その頃丸亀市において擅にこれを着服横領し
(二) 同年四月二二日頃同町四国電力株式会社多度津営業所においてチヨ硫酸ソーダー他六点の納品代金六、一五〇円を集金し業務上保管中その頃丸亀市において擅にこれを着服横領し
(三) 同月二四日頃前記多度津工業高等学校において硝酸コバルト他七点の納品代金五、三〇〇円を集金し業務上保管中その頃丸亀市において擅にこれを着服横領し
(四) 同年五月一三日頃丸亀市大手町東中学校において自動上皿秤の納品代金七、〇〇〇円を集金し業務上保管中その頃丸亀市において擅にこれを着服横領し
第三、法定の除外事由がないのに昭和三二年五月一四日綾歌郡宇多津町田尾一力旅館において廻転式拳銃一挺(証第九号)を所持して
いたものである。
(証拠の標目)
被告人の本件犯行に至るまでの経過については、
(中略)
によつてこれを認め、
罪となる事実については、
第一の事実中殺意及び心神耗弱の点を除くその余の事実は、
一、被告人の第四回公判調書における供述記載並に当公廷における供述
一、被告人の司法警察員に対する昭和三二年五月一六日附供述調書及び検察官に対する第一、二回被疑者供述調書中判示事実に照応する部分の各供述記載
一、第三回公判調書中証人平沢定雄、同門野豊美の各供述記載
一、平沢定雄の司法巡査河野幸雄に対する昭和三二年五月一四日附供述調書及び司法巡査に対する昭和三二年五月二〇日附供述調書並に検察官に対する第一回参考人供述調書
一、門野豊美の司法警察員及び司法巡査に対する各供述調書並びに検察官に対する第一回参考人供述調書
一、福本文子の司法巡査に対する昭和三二年五月一四日附(但し同供述記載中「ゆみちやんに目をつけていた」という部分を除く、)同二一日附各供述調書及び検察官に対する第一回参考人供述調書
一、平田春男の司法巡査に対する供述調書
一、鑑定人寺島昌訓及び神田瑞穂作成の鑑定書
一、当裁判所の検証調書(添付写真を含む)
一、司法警察員作成の実況見分調書(添付写真を含む)
一、押収に係るシアンカカリユーム入り茶色壜一個(証第一号)
によつてこれを認め、
殺意の点は前掲罪となるべき事実に関する証拠によれば被告人が所持していた毒物が青酸カリであつて被告人はかねてから青酸カリについてこれが極少量でも人が飲用すれば直ちに生命を奪うような毒物であることを充分認識しておりながら平沢の制止も聞かずにこれをビール入りコツプ内に散布した事実。アルバイトサロンバンビーがその性質上不特定多数の他人が飲食する場所であるから仮令自己の着席しているテーブルの上に限つてなされたとしても如何なる事情により他人がこれを飲食するかもわからない事実。被告人も当日他に数人の客が飲食していたことを認めていながら被告人において予め殺人の結果発生を否定しうる具体的方策を講じないで敢えて本件犯行に出た事実から推して判断すれば被告人が自己の行為を認識し且つ消極的ながらこれを認容したものと言うべきであるから前示認定のとおり未必ではあるが被告人の殺意を肯定するを相当と考える。
被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあつた事実は被告人の第四回公判調書における供述記載、鑑定人奥村二吉作成の鑑定書、前記認定の様な犯行までの経過、犯行の態様を綜合してこれを認める。
第二の事実は、
(略)
によつてこれを認め、
第三の事実は、
(略)
によつてこれを認める。
(訴訟関係人の主張に対する判断)
被告人の殺意について検察官は被告人が被害者川田美也子を自殺の道連れにしたものであるとなし、被告人に確定殺意があつたものと主張し、弁護人は被告人は犯行直前平沢がポケツトから取り出した新聞紙包の青酸カリを見たとき自殺の潜在的意思が昂りその決意が瞬間的に生じたと主張する。
そこで先ず被告人は果して自殺の決意の下に本件行動に出たものかを判断するに前記事実認定のように被告人は体質的に周期性憂鬱症なる疾患を持ち偶々本件犯行当時はその周期にあたり、前記認定のような事情もあつてしばしば自殺して一切を精算したいと考えることがあつたことは窺われるが、凡そ人は本能的に生への執着が強くこれを排して自から死の結果を選ぶことは余程の事情を必要とするものと考えられるところ、被告人は智能程度高く且つ口癖のように他人に自殺の意思を打明けながら長期にわたりこれを実行に移すことが出来なかつたこと。本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたとは言え被告人の検察官に対する第一回被疑者供述調書によればその直前煙草が喫いたくなり常時使用しているパイプを前記丸亀営業所迄取りに帰つているような事実が認められること、被告人の司法警察員に対する昭和三二年五月一六日附、並に検察官に対する第一回供述調書によれば、被告人は昭和三二年二月頃より知り合つた美人会館の女給福本文子を好きになり三月中頃結婚の申込をした処、秋まで待つてくれとの返事であつたが、同年五月九日頃一緒に徳島へ旅行した時肉体関係を結び秋には結婚するつもりでいたことが認められること、被告人が本件犯行後間もない昭和三二年五月一六日に取調にあつた司法警察員に対する最初の供述は「別に深い意味はありません。私が軽卒にも持つていた薬品の謂わば冗談半分にと思つて軽い気持からしたことが本当に投入したビール入りのコツプを呑み人を殺して仕舞う様なことになつたのであります。如何にも自分ながら軽卒な考え方であつたと思つて後悔しております」と自殺の意思については何も触れていないこと、そしてそれから約半月余りも経つた同年六月二日の検察官の取調に際しはじめて「青酸カリを目の前のコツプに入れたのは自殺する考えで入れたものです。しかし自分のコツプだけに入れず他のコツプ迄に入れた気持は私自身判りません。誰れでも構わない誰れかと無理心中をする気持が動いてそうしたと説明する以外はありません」と述べたものであつて(記録第五二一丁)その後の検察官の取調についても「しかし二つのコツプに何故入れたか今でも判りません」と再び瞹昧な供述をしており、これが当公廷において自殺の意図が全然なかつた旨供述していること。そして他に自殺の意思の下に本件犯行に出たと認定しうる積極的な証拠が見当らない以上右事実について彼此綜合してみても被告人において本件犯行当時既に自殺の決意が生じていたと認定することは甚だ困難であると言わねばならない。
しかも平沢定雄の当公廷及び検察官並びに司法巡査に対する前掲供述によれば嘗つて被告人が平沢に対し「面白くなかつたら死ぬが一緒に連れて行つてやろう。その時は文ちやんもゆみちやんも道連れにする」と言つていたことが認められるがこれは平沢自身冗談と思つて聞いていた旨供述しており単に右事実をもつて被告人に犯行当時自殺の決意が生じ被害者川田美也子をその道連れにする意思があつたと認定する資料に供することは到底できない。弁護人は被告人には美也子を殺害しなければならない原因動機がないことを理由に殺意を否定するような趣旨の主張をしている。そして殺人のようないわゆる動機犯罪には通常何等かの動機が存在することは至極当然のことであるが被告人の本件犯行は前述のとおり被告人の体質から周期的に来る憂欝症が嵩じそのうえ相当量の飲酒のため病的酩酊に陥つていた結果いわゆる心神耗弱状態にあつたことが認められるのであるからいささか常軌を逸するような被告人の前記認定のような行動もあながち無理のないところであつて特に極めて稀有の現象とは云え本件の如き特殊な場合には通常言われる様な動機がないからと言つて確定殺意を否定することは兎も角未必的殺意まで否定することは妥当でない。
弁護人は被告人が最初の二回にわたり青酸カリをビール入りコツプに投入したことは認められるが美也子の死亡の原因をなしたビール入りコツプに被告人自身が青酸カリを投入したことを証する資料は全然ないと主張するが前掲証拠によれば被告人が二回目にビール入りコツプに投入した青酸カリは被告人自身が携帯していた小壜に入つていたものであり被告人の検察官に対する第一回供述調書によれば(記録第五九七丁)「この時三個のコツプへ入れたのか、二個のコツプだけに入れ、その後で更に他のコツプへ入れたのかはつきり記憶しておりませんが、ただ平沢がコツプ二つを取上げた記憶があります」と述べており、果して二回目には二個のコツプだけに入れたのか、或は二個以上のコツプに入れたのか明らかでないが、もし二回目に二個以上のコツプに入れたのであれば、美也子の飲んだコツプの青酸カリは被告人が投入したものであること明らかであり、又もし二回目に投入したのは平沢が直ぐ捨てに行つた二個だけであつて、美也子の飲んだのはその後に投入されたものとしても第三回公判調書における証人平沢定雄の供述記載中(記録第三九六丁裏)「二つのコツプに吉田が壜の分を入れてからポケツトにしまつているのをみました。私はそれをみてからそのコツプのビールを捨てに行つたのです」と述べていること、被告人の司法警察員に対する昭和三二年五月一六日附供述調書によれば前記小壜は被告人が被害者の死を見て驚きバンビーから飛出して逃げた折も残量の入つたまま携帯し上衣のポケツト内に入れてあつたことよりみて第三回目の投入があつたとすればそれは第二回目の投入後一旦ポケツトにしまつた被告人が再びとり出して投入したものと認められる。従つて何れにしても美也子の飲んだコツプの中の青酸カリは被告人が投入したものであること明らかである。
次に弁護人は美也子に自殺する原因動機があるから本件は美也子の自殺行為である旨主張する。もし美也子において真実自殺の決意が生じ被告人が青酸カリを投入したビール入りコツプを自から口に運んだとすれば美也子自身被告人が右コツプに毒物を投入していることを知り且つその毒物が仮令青酸カリという名称のものであるということまでは知らなかつたとしてもそれが自己の生命を絶つ程強力な毒物であつてしかもそれが致死量以上に投入されていることの認識がなければならない。そこで美也子は青酸カリの入つたビールをその情を知りながら飲んだか知らずして飲んだかにつき検討するに、被告人は第四回公判において「……被告人が壜入りの青酸カリを取り出してコツプにふつて入れたことはどうか」「はつきりしませんがその時かどうか平沢にどなられた記憶はあります」(記録第七一六丁)と述べ、新聞紙に包んでいた青酸カリを被告人が平沢から奪いとつてコツプに入れた時の模様につき平沢定雄は検察官に対する第一回供述調書において「冗談にもそんな事をする奴があるかと言つてそのコツプを奪い入口附近の水道の処へ持つて行つて中身を捨て……」と述べ(記録第四四〇丁裏)、被告人が青酸カリの壜を出して自分と美也子の前のコツプに投入していた時の模様につき、右平沢は前記調書で「元の席に帰ろうとしてふとみると吉田が右の青酸カリの壜を出してビールの入つた自分とゆみちやんの前のコツプにパツパツと中身をふりまくのをみましたので、走つて行つてその青酸カリを入れたと思われるコツプ二つとゆみちやんと吉田の前に置いていたおかき一皿を取上げました、するとゆみちやんは「何でそんなことをするんなあ、放つといたらえゝじやないか」と言うので何が入つておるんか知つておるんか」と言うと別に返事はせず悲しそうな顔をしておりました」(記録第四四一丁裏)と述べ、同人の第三回公判調書における証人としての供述記載中「……すると美也子が「人の飲んでいるのをすてるのかい」というので私は「これは青酸カリが入つているのだ」と言つたのです、そしたら美也子が「人の飲むの放つておいたらよいが」と言つたのです」(記録第三九九丁裏)と述べてはいるけれども、他方門野豊美、松本千恵子、広垣靖子、相原富美子の各司法巡査に対する供述調書、佐伯茂男の検察官に対する供述調書を綜合すれば当時バンビーには被告人等の外に他の客もあつてビール等を飲んだりレコードに合わせて踊つたりしているという状況であつて、被告人と一緒に行つた佐伯茂男は酒に酔つていたせいもあるが被告人が青酸カリをコツプに入れたことや、平沢がそれを二回も捨てに行つたことは全然気ずかず、バンビーの女給達も平沢から同人が捨てたコツプを「青酸カリがついているからよく洗つてくれ」と言われても冗談に言つているものと思つて本気にせず、美也子が青酸カリの入つたビールを飲んで倒れた時もてんかんを起したのであろうと考え、毒物を飲んだとは夢想だにしなかつた状況であつたことが認められ、又美也子が書いた日記帳(証第一〇号)によれば美也子が本件犯行日より約一年前死んだ方が幸福かも知れないという様な心境を書いた事実もあるけれども、弁護人が主張する様に本件犯行日以前に美也子が自殺を試みて未遂に終つたという事実は認められないし(証人平沢定雄、同秋田昌士は噂で聞いたと述べているにすぎず、証人秋田はその噂さの内一回は確実な処から聴いたと述べているが、その確実な噂の出所という蜷川ハルヱを証人調べした結果はその様な事実は認められず、只うどんを食べに来た美也子が「眠り薬を呑んだから気分が悪い」と述べたことがあるに過ぎないことが認められる)他方大西喬の司法巡査並に検察官に対する供述調書によれば美也子は昭和三〇年秋頃から、大西喬と肉体関係を生じ本件事件の前日も大西喬は美也子の間借りしている処に同女を訪ねて泊り、事件当日も美也子が美人会館に勤めに出る準備をし始めた午後五時頃まで雑談を交わして別れていることが認められ、又堀江芙次子の検察官に対する供述調書によれば美也子が同女に対し被告人の呼出に応じバンビーに行く一時間ないし二時間前にお客さんから貰つた音楽会の招待券をみせ、一緒に行こうと約束したことが認められるので、以上の様な各事実を綜合すれば前掲証拠をもつて軽々しく直ちに美也子が自殺の決意の下に青酸カリが入つているということを知りながら、そのビールを飲んだものと推認することは到底できない。よつて弁護人の美也子が自殺したものであるとの主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示所為中殺人の点は刑法第一九九条に該当するから所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱中の犯行であるから同法第三九条第二項第六八条第三号により法定の減軽をなし業務上横領の点は各刑法第二五三条に、拳銃不法所持の点は銃砲刀剣類等所持取締令第二条第二六条第一号に各該当するので後者につき所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により犯情の最も重い判示第二の(四)の業務上横領の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で処断すべきところ前記各証拠及び本件審理に際して取調べたその余の証拠によれば被告人の殺人の所為は前認定のようにその動機において被告人が計画的に被害者を殺害したものでなく心神耗弱状態にあつたことから他人が飲用するおそれのあるビール入りコツプに青酸カリを投入するような極めて常軌を逸する行動に出たところ偶々情を知らなかつた被害者が自からこれを飲用したためこのような人を死に至らせるような重大な結果を招来したものであり、被告人も犯行後前非を悔い被害者の冥福を祈つていることが窺われ被告人の情状考慮すべきところもあるが、被告人には前述のように未必的ながら殺意をもつて、しかもその方法たるや前認定事実のように極めて社会的危険性を帯びており、ことと次第によれば更に他に何人かの被害者が続出し兼ねない状況であつたことは誰れしも疑う余地がないところであり、更に僅か数分の間にかけがえない尊い人命を奪つた結果は如何に重視しても重視し足りない程のものといわねばならず、他方何等責めらるべきところもないのに若い生命を奪われた被害者側の感情もおろそかにすることが出来ない。そうすれば被告人の刑事上の責任は強く追及されて然るべきであろう。従つて被告人も今一度人命をあまりにも軽視した自己の行動を十分反省し道徳意識と責任観念を喚起し進んで罪の償いをしなければならないと考える。よつて被告人を懲役五年に処し同法第二一条により未決勾留日数中二五〇日を右本刑に算入することとし、押収のシアンカカリユーム入り茶色壜一個(証第一号)は本件殺人罪の供用物件であり押収の廻転式拳銃一挺(証第九号)は拳銃不法所持の罪の組成物件であつていずれも犯人以外の者に属しないから刑法第一九条に則りこれを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して鑑定人奥村二吉に支給した分を除きその余を被告人に負担させることとする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 中村三郎 山下顕次 長西英三)